コンサルタントが書いた短編小説「誤認転職」②
短編小説「誤認転職」の第2話です。
前回の第1話では
ベテランコンサルタント松田は仕事に力が入らない状態が続き「潮時」を意識している時、知り合いの経営者田所印刷の社長からスカウトの話があった。
第2話「我慢の限界、退職願を出す」です。
我慢の限界 退職願を出す
「お帰りなさい。だいぶ飲んだみたいね」
玄関のチャイムを押すと、妻の裕子が出てきた。
リビングに腰掛け、喉の渇きを癒すために烏竜茶を一気に飲み干した。
「今日な、関係先の経営者から、ウチに来ないかと 誘われたんだ。」
「それって、ヘッドハンティング?」
「まあな。」
「その会社良い会社なの?」
「うん、未だお付き合いし出して1年ぐらいだけど 経営者は信頼できる」
裕子には、以前も同じ様な転職話しがある度に話していたから、直ぐ合点がいった。
「今度は、本気で考えてみようかと思ってるんだ。」
「良いんじゃない、最近、今の会社で貴方、旨くいってないみたいだし貴方がそうしたいなら、私は構わないわよ。」
裕子とは、共通の友人の紹介で、知り合い、15年前に結婚した。子煩悩だが、自分の事を信頼している。そんな裕子が反対する筈もなかった。
「でも、本当に大丈夫?」
「何が?」
「未だお付き合いは短いんでしょ。相手も貴方もお互い詳しく知らないんじゃないの」
裕子の質問は的を射ていた。隆は短気で、よく確認しないで、行動に移す所があり、それでいろいろ失敗してきた経緯を裕子は知っているので、当然の問いかけだった。
「良く考えないといけないけど、多分大丈夫だろう。年収も1000万円、常務か専務の役職も用意するだんって。」
「すごいじゃない。私は賛成も反対もないわよ。貴方が決めたことについていくだけだから」
ある意味で予想された答えだった。松田は自分なりに決心がついたような気がした。
「明日にでも高宮部長に辞表をだしてみよう」そう思って、深い眠りについた。
翌日は早朝ミーティングであった。コンサルタント会社の場合、ミーティングと言っても今週の行動予定と業績確認が主である。
業績確認では、セミナーの集客状況や企画書の決定状況などが各自から報告され、集客や受注に関する情報がない者は答えることができない。
松田はそんなミーティングが溜まらなく嫌であった。 と言うのも受注即ち営業が苦手であり、契約の生産性は上がってないからだ。
必然的にコンサルタントとしての顧問先の件数も少なくなり、月間売上高は主任級とさして変わらい状態であった。
となると、コンサルタント会社と言えども営利法人なので、営業に関する詰めは業績に上がってない者へは厳しくなる。
その日もいつもと同じように厳しいミーティングがなされた。新日本経営開発の中央事業所の取締役部長である高宮健輔から松田へ厳しい指摘が為された。
「松田室長、この所セミナーの集客がないですね。幹部が上げずして誰がお客様を作るんですか?コンサルタントで一番楽なのが、顧問先へ入り浸り、コンサルティング三昧する事ですよ。個人の月間売上も百万円前後では、話にならないでしょう。どう考えているんですか」
高宮は全員の前で容赦なく詰め寄った。しかし、松田は答える事ができない。高宮の声を聞きながら、
【また皆の前で、俺をなじるような言い方をしやがって】
と反感で表情がこわばったのが自分にも確認できた。そして、松田は高宮に反論した。
「部長の言うことも分かりますが、私だって一生懸命やっているんです。遊んでいるわけではありません。そんな言い方は心外です。」
高宮を睨みながら言った。すると、高宮は
「だったら結果を見せてください。あなたは顧問先の営業マンが同じ事を言ったらどうします。当然、講釈はいいから結果見せてよ、と言うでしょう。」
事業所内が険悪な雰囲気になった。高宮の言い分は筋が通っている。しかし、松田には、高宮の言い方や、衆目の前でバカにしたような態度が気に食わない。松田は怒ってふてくされたような態度で、会議は一旦終了した。後味の悪いムードを残した会議だった。
「高宮部長、一寸宜しいですか」
会議終了後しばらくして、慌ただしく書類を視ていた高宮に松田は声を掛けた。高宮は松田の直属の上司であるが、松田よりキャリアは上だが年が若い。実力、貢献、評価とも社内外を問わず高い、仕事のできる人間である。
だが、松田はそんな高宮が自分に敬意を払わず、営業面の生産性で詰めてくるやり方がどうしても嫌だった。しかし、ここは気を取り直して、冷静に話そうと思って高宮と応接室に入った。
「どうしたんですか?」
応接室に椅子に座り、ヘビースモーカーの高宮は即座にタバコに火をつけ松田に問い訪ねた。高宮には先ほどの松田に対する険悪な雰囲気はない。
「これを。」と言って辞表と書かれた封書を差し出した。
「これは何ですか?」冷静な口調で高宮が聞いた。
「この半年間、いろいろ考えたんですが、これからいろいろやりたい事があるものですから。」
「辞めてどうするんですか」
高宮は全く焦った口調でもなく、冷静に問い返した。
松田は一瞬本当の事を言うべきか躊躇したが、どうせ後でばれる事だからと思い直し、正直に答えた。
「実は、体力的にもかなり限界がきてますし、このままコンサルタント稼業を続けるには正直自信がありません。そんな折り、田所印刷の社長から、ウチヘ来ないかと言うお誘いがあったんです。私としてはお受けしようと思いまして。」
自分でも驚く程素直に答えている自分に松田は気付いた。
「どんなお誘いだったですか」
表情一つ変えない高宮の口調には歓迎の意思はないようであった。
「役付取締役で入社して、田所専務の後見人になって欲しいと言う事なんです。」
「松田さんは田所印刷へコンサルタントに入って、まだ1年くらいじゃありませんか。未だお互いを理解する時間が必要だと思いますが。松田さんもよく御存じのとおり、我々コンサルタントは経営者から見ると頼もしい存在に見えますが、それはあくまでも外部の客観的なブレーンだからです。私もこの15年間で多くのコンサルタントの転職を見てきてますが、成功率は必ずしも高くありません。もう一度考え直したら如何ですか。それに引き継ぎも部長クラスだと何かと大変ですし、戦力として大きな損失になる事も事実ですし。」
さも当たり前の高宮の説得が松田には気に入らなかった。
(そんな事は分かっているさ。どうせ自分の事より会社の信用の方が大事なんだろう。)
松田はそう言いたい気持ちを抑えたが、永年の高宮への嫌悪感が口調を少し荒く返答した。
「もう決めた事ですから。佐藤社長には私から連絡します。一応部長の方でこの辞表は受理して佐藤社長に伝えて下さい。よろしくお願いします。」
すると高宮は
「どうしてもですか。かなり負担が大きいのじゃないですか。奥さんは何と言ってますか」
慰留するような口ぶりと、「お前なんかに無理だろう」とあざ笑う口ぶりの入り交ざった言葉だった。
「家内は賛成です。それに高宮部長も私にできるかどうか不安のようですが、このままわが社に留まっているより可能性は高いと思います。私ももう42歳です。このような仕事の仕方をしていたらいつか体が潰れます。どうせ潰れるなら一か八か田所社長の所で頑張った方が得策だと思っています。」
高宮は静かに聞いていた。そして
『分かりました。で。いつから田所さんの会社へ入社するんですか』
松田は
「来月からと思ってます。」
間髪入れずに高宮は、
「そんな短期間では引き継ぎも満足にできないじゃないですか。」
と驚きの表情と無責任な態度と蔑んだような表情をした。
松田は、半分どうでもなれ見たいな気持ちになっていた。
「それは高宮部長が何とかしてください。」
半分、高宮への意趣返しか当てつけかと思われても構わない気持ちのあった。
「自分勝手じゃないですか。今抱えているプロジェクトはどうするんですか。」冷静な高宮の口調がきつくなった。
「それなら、課長クラスでも立派にやってくれますよ。」
松田はもうこれ以上、高宮とは問答したくなかった。
「完全な引き継ぎができないと退職金にも影響しますよ。」高宮の言葉が敵意むき出しの表現に変わった。
「分かりました。失礼します。一応辞表は出しましたので受理して下さいね。」
そういって投げやりな態度で、松田はお応接室を後にした。
スカウトを受ける
「どうかしましたか。打ち合わせしたいことがあるんですが。」
部屋を出たら、同じプロジェクトのサブリーダーである課長の加納が声を掛けてきた。
「今、高宮部長に辞表を来してきた。俺の後をよろしく頼むな」
事務所中に聞こえるくらいの軽やかな声で松田は答えた。
「それって。どういう事ですか。」
驚いた加納は声を上げた。そして不信感を持った目つきで松田を見た。
「どうもこうもない。あのプロジェクトは君主導でやってくれればよい。詳しくはまた打ち合わせをしよう。俺用事があるから、外出するよ」
松田はつっけんどんな言い方をした。
加納は有能だが、何かあれば松田と対立していた。また加納が高宮と信頼関係が厚い事も松田には面白くない事だった。
別段用事らしき事はなかったが、あのまま事務所にはいたくなかった。出たついでに田所社長へ電話した。
在社していたのでそのまま田所印刷へ向かった。向かう車中で松田は思った。
(加納の奴、あのまま高宮の所で相談にでもいって、俺の事あれやこれやとほざいているんだろうな)
「高宮部長、松田部長をどうして止めないですか?」
ノックして応接室に入るなり、加納は高宮をせき立てた。
「なんだ 、もう知っているのか。側耳でもたてていたのか」
「違いますよ。たった今、松田部長と打ち合わせしようと思って、応接室を出たところを聞いたら、自分は辞めるから。後をよろしくと大声で言ってたんです。」
「やはり、松田はバカだなあ。身の程知らずとはあのことだ。田所印刷からヘッドハンティングにあったらしくて、そちらに行くそうだ。」
あきれ顔で高宮は答えた。
「やれるはずないじゃないですか。昔ながらの社員教育しかできない総論コンサルタントですよ。田所社長はどこに目をつけているんですかねえ。それにあの社長は浮き沈みの激しいタイプですから、今は良くてもぼろが出たら、お払い箱ですよ。そんな事ぐらい42にもなって分からないんですかね。」
加納は噴き捨てるように言った。
「私もよく分かっている。それがあの男の限界なんだよ。10年もこの会社にいてラインの長で業績を上げたことがなくて、仕方なしに部長職をつけてるんだ。会社の人事の矛盾でもあるけどね。それに昔から良く言うだろう。(独立転職と不倫は周りが止めれば止める程盛り上がるってね、)」
「それでどうしますか。プロジェクトの方は、高宮部長と私で何とかなるんですが、彼が担当しているクライアントには何と説明しましょうか。」
「別に顧客を持ち逃げした変な独立ではないから、ありのままを説明すればよい。引き継ぎの件だが、よく注意して見ててくれ。少しでも手抜きや資料やノウハウの持ち逃げがあったら、即報告を頼む。今までいい加減に会社に迷惑掛けて、世話になっているんだ。下手な態度だと退職金の会社負担分は支給しない事だってありうるからな。」
高宮の本音が心を許せる加納に対して厳しい言い回しで伝わった。
「急にどうかしましたか。良かった。外出する前で。」
田所印刷の社長である田所は丁寧な歓迎の意を温和に述べた。。
「この前、田所社長から言われていた件ですが、お受けしようと思いまして、たった今、辞表を出してきました。」
やっと肩の荷がありたと言うような安堵感にも似た声で松田は答えた。
「そうですか。それは早い決断でしたね。私の方もこんな物を用意してたんですよ。」
と言って新品の名刺の入ったプラスティックの透明な箱を出した。名刺には、取締役副社長と書いてあった。
「どうです。悪くない肩書きでしょう。先生の為に社用車も用意しています。」
田所は得意満面の笑顔で語りかけた。松田はまさかそこまでしてくれるとは夢にも思ってなかった。
「身にあまる光栄です。これからもよろしくおねがいします。」
松田はこの時、この社長の為に粉骨砕身して頑張ろうと心から思った。すかさず、田所は話を続けた。
「そこで先生には、営業のチェックと全体のマネジメントをお願いしようと思っています。ところで、いつ頃からウチヘ来ることができますか。先生も知っての通り再来月が決算ですから、来月のはじめでも来て欲しいんですが、引き継ぎとか何かと忙しいでしょうからね。」
田所の気持ちは松田にも分かった。昨年は新年度を迎える前に経営計画書を一緒に作成していたから、それにあわせて入社する方が段取り的には良かった。
しかし、高宮との話では、最低2ヶ月は掛かるという事なので、一瞬躊躇したが、(此の社長の頼みは断われない。何が何でも1ヶ月以内にしなくては)と思った。
「分かりました。そのような手筈でいきましょう。」
一瞬の躊躇をもみ消す端切れの良い返事をした。
「それでも引き継ぎやいろいろな事があるでしょうから、何ならウチに入社してからも日経開発の方の引き継ぎをしても構いませんよ。多分、最初はそう忙しくないでしょうから。」
「そう言って頂けると助かります。私も一度決めた以上は早く本格稼動ができるように進めます。」
松田と田所はその後たわいもない話を小1時間位して帰社した。
次回第3話「期待が大きいスカウトの裏事情」
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