コンサルタントファームでの修業時代⑤「ついにメンタルダウン」
SWOT分析、KPI監査、採用サイト、事業承継「見える化」コンサルタントの嶋田です。
私のコンサルタントファーム時代の回想録の5回目です。
複数の地域で展開する経営コンサルタントファームとして、コンサルの見習いからベテランまで含めて数十名規模のファームでした。
その原動力は経営者のカリスマ性、営業力など「経営者依存体質」そのものでした。
私自身も新卒で入社し、その経営者のノウハウを学び、若くしてファームでのNO1コンサルタントとして受注契約高、年間生産性そして、母店の責任者、全社の経営コンサル技術責任者として、それなりに活躍しました(若い頃はその経営者のコンサルノウハウ、話し方、受注技術をすべて吸収しようとしました。私生活の在り方以外は)
しかし、ファームで12年を超えた頃から、徐々にメンタルで異変が出てきました。
別に鬱とか心の病というものではなく、「長年の疲れ」と経営者との間合いの取り方が難しくなり、経営者と一緒にいることが嫌になっていったのです。
1,拠点経営に介入しすぎる経営者
27歳の時、ある中核都市で拠点長になりました。その拠点はまだ出店間がなく、業績も低迷状態。
当時NO2の役員と中堅、新卒、それに事務員だけという小所帯でした。
その役員は全国のクライアントを担当しており、不在がち。
中堅も新卒も経験不足で、受注もコンサル経験もあまりない状態。
そこで、私がある田舎の拠点から転勤してきました(その田舎の拠点で高業績を上げていた)
そして、いろいろなてこ入れを経営者と共に行いました。
土日もなく受注活動とコンサル活動、人の採用育成などなど。
元々やれる人材が自分しかいなかったので、頑張るのは当然でした。
そうこうするうちに生産性があがり、人も増え、母店機能を持つようになりました。
弱冠30歳の私も部長になっていました。
すると経営者が、もともと本社のあった他の地方都市から、住居をこの中核都市に移し、この拠点での滞在日数が長くなり、そこから全社への発信と、当然拠点経営にも介入するようになりました。
数年間は経営者とは良い関係で、この母店はどんどん成長し、売上高、利益、ノウハウ等他拠点をリードする状況でした。
しかし、私自身のマネジメント不足を支援していたこの経営者は、ご自身でバンバン指示命令を出し、2頭政治みたいなカタチになっていきます。
社員も拠点長の言うことより、社長の言うことを聞くのは当たり前。
私自身もそれを口実にマネジメントから逃げていたかもしれません。
また、自分自身も知らないうちに、この経営者の方針や指示に「疲れ」と「嫌気」がさし始めてきました。
徐々に経営者との絶対的信頼関係に隙間風が吹く状態の火種が出てきました。
2, 業績負担が大きい母店の責任
母店機能を持つということは、他の地方拠点の統括管理が求められます。
統括管理とは、地方拠点の業績不振は母店で補填しなければなりません。
私の管理範囲にあるブロックの地方拠点は歴史が一番長いのに、長期の低迷をしている拠点。
しかも歴史が長いだけに、幹部クラスも私より年齢が上で、そうそう言うことを聞きません。
更に悪い事に、その地方拠点には私の上司である上席役員が責任者として在籍していました。
本来ならその上席役員の上司こそ、業績つくりを率先し、拠点をまとめ、商品開発や顧客開発をすべき立場。
しかし、そうではなかった。
だからそのシワ寄せが、母店ではあるけれど、部下の私たちに来るのです。
矛盾の極みですが、文句を言っても仕方ありません。
能力の有無など関係なく上司ですし、そういう貢献を求めることは能力的にも機能的にもムリだったのです。
かと言って精神的に私を助けてくれる訳でもなく、部下からも「何故あの人が上席役員なんですか?」と言われることもしばしば。
私には答えられませんでした。それは私の権限の範囲ではなかったから。
ただ、そこからもいろいろな学びがあり、その後のクライアントへの「取締役教育プログラム」にも役立ったことは事実。
3,同じ取締役へSOS
母店でのマネジメントに疲れ、モチベーションが維持できない状況になったのが、入社後13年、取締役になって3,4年経った頃です。
コンサルティングや受注営業の仕事は今まで通り、問題なくできていましたが、拠点経営では少々メンタル維持が厳しくなっていきました。
当時、同僚の取締役で、地方のブロック責任者としてマネジメントも業績も良好なバランスの取れた仲間がいました。(その仲間は今でも高い生産性を維持しながら、余裕のある仕事をしている)
私の当時の事情は経営者からも聞いていたようだし、私自身もこの大きな母店の管理ができるのはこの同僚しかいないと思っていたので、それとなく「〇〇に来て統括してくれませんか。私はもうだめだ」と懇願しました。
彼も承諾してくれ、その後1年程度で私はこの母店統括から、面倒な地方の老拠点に異動転勤しました。
当時、結婚したばかりで、子供も腹の中にいる状態での転勤であり、母店統括から一地方拠点の責任者になるので、いわゆる「都落ち」です。
しかし、私は母店でのマネジメントが限界であり、これ以上無理をすれば本当におかしくなると感じていたので、経営者にもお願いし、同僚取締役にもSOSを出してでも「都落ち」を前向きにとらえました。
4,異動先で再覚醒
地方拠点に転居し、改めて再出発しました。
この老拠点は年上も数名いて、雰囲気もどんよりしていました。
更に私の上司である上席役員がその拠点の責任者にいたので、赴任と同時に私がいた母店の管理部門に異動しました(経営者の配慮で私とそりが合わない上席役員を事前に異動)。
実際にはこの上席役員がいる状態では、この老拠点は活性化しない事は業績と部下の評価が物語っていました。
それは私だけでなく、経営者もよく分かっていました。
そして、私が赴任すると前後して、この老拠点のベテランの部長2名も退職しました(トラブルを持ったままの退職でいろいろ後が大変だったが、おかげでゼロからの出発が可能に)
そして残った6名で再出発です。
この老拠点は歴史があるだけに、その地域では良い意味でも悪い意味でも名前が知れていました。
特に悪い意味の方が多かった事は、最初は堪えました。
ただ私には勝算がありました。
昔を知らない企業経営者からすると、私を見て判断してもらえるので、自分が頑張って、新規客をつくり、コンサルを拡大すればいいだけと割り切りました。
問題は当時の若手や中堅のコンサルタントの現場経験不足でした。
受注や生産性が低く、コンサル現場を知らない若手中堅が多かったのです
これまでの上席役員やベテラン部長達が教えていない、見せていないからです。
そんな事をあれこれ言っても始まらないし、私自身、肩の重荷が取れた事と子供も生まれた事で一気に覚醒しました。
バンバン受注し、バンバン施工し、皆が「私についてくれば良くなる」という実感を持ってもらいました。
もともとコンサルティングも受注も好きだったから、変な呪縛がなければ、伸び伸び仕事ができるのは当然でした。
当時、母店では経営者が在籍している時、皆が帰宅できず21時22時になるのが普通。
毎月の締め日も会議でも朝早くから、夜遅くまでいるのが当たり前の今でいう「ブラック」でした。
老拠点を活性化し、生産性を上げて拠点の雰囲気が良くなったので、締め日も早く帰り、全社一斉会議時も早く切り上げ、皆で飯を食べに行くことも度々でした。
経営者からの直接的な呪縛から離れ、自分のススメ方で自由にできることでメンタルも復活しました(ただ高い生産性を上げていても全社業績の悪化で私の給与が上がらなかったという矛盾は続く)
その結果、その後の分社や独立につながったのだから、良いきっかけの転勤でした。
転勤し、この老拠点を活性化する機会やこの伸び伸び感がもう少し遅れていれば、もしかしたら潰れていたかもしれません。
万時塞翁が馬
何が幸いし、何が災いするか分かりません。
「都落ち」「上席役員との不仲」「経営者への不信感」となっても、それを前向きにとらえることができたのは不幸中の幸いでした。
今のコンサル活動や情報提供活動は、この時代の紆余曲折がプラスにもマイナスにも影響している事は否めません。
しかし、今となってはすべてが良い思い出で、当時の経営者や昔の上司に対しても特段の思いもありません。
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